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『藤田嗣治 絵画と写真』展

少し前に東京ステーションギャラリーで開催されていた『藤田嗣治 絵画と写真』展に行ってきました。

藤田嗣治 絵画と写真』展は、画家の藤田嗣治(1886ー1968)と彼の芸術を“写真”をキーワードに探る展覧会です。

※東京での開催は8月末まで、9月27日からは名古屋市美術館で開催予定です。

 

被写体としてのフジタ

フジタといえば、おかっぱ頭、丸眼鏡、ちょび髭。
トレードマークの髪型は貧しさゆえ自分で切っていことがきっかけだと言われてる。
でも独特なファッションも自らミシンをかけて作ったもので…
貧乏だからというより、彼の感性にかなう自分でいるためには“自分でつくる”しかなかったのかもしれない。

このお馴染みの風貌を、自画像や写真を使って繰り返し再生産し、“アイコニックなフジタ像”に仕立てたのが彼一流の自己演出。
この展覧会では、無名の日本人画家が異国の地で脚光を浴びるまでの“メディア戦略”と“その道具となった写真”を見ることができます。

自らをプロデュースするという行為は、自身を芸術作品とするという意味で芸術なんだけど、ビジネスの視点から見ても興味深い。

絵画を扱う画家だからこその”絵画と写真の使い分け”は、絵画と比べて安価で大量に再生産可能な写真を使って、一点物の芸術を売る販売戦略。
いつの時代も売れるためには魅力的な仕掛けが必要で、踊らされるのを待ってるのが消費者なんだろうと思う。
芸術は面白い。そして人生は面白い方がいい。
ぜひ私も踊りたい、いや踊らされたい。

 

記録としての写真

世界中を旅したフジタは旅先でも多くの写真を撮った。旅先での風景や人やモノ。
一枚の写真に写りこんだあらゆる影を、彼は抜き出して絵画作品に仕立て直す。

画家が記録するならスケッチでもよさそうだけれど、フジタは写真を好んだ。

写真やカメラが好きだったということもあるだろうけれど、私には、世界中から集めてきた布切れを広げて
「さあ新しい服を仕立てよう!」と心弾ませるフジタのさまが浮かぶ。

画家の目が切り取ったものだけじゃなく、観察者とは無関係に昔からその土地にあった現実をそのまま持ち帰りたかったんじゃないか?
見ることに自覚的だった画家の
見なかった風景、気づかなった表情、見落とした物の形状。
”彼が出会わなかった世界”こそが彼の旅した場所の大部分で、
それがその場所を彼にとって”忘れられぬ場所”にしていることを彼は知っていたように思う。

そして、その影を自宅で、持ち帰った写真のなかに見る。なんて素敵な心躍る土産写真!

 

写真が撮りたい

展覧会を出て最初に考えたこと。「写真っていい、私も撮りたい」
近眼、老眼の素人だから、機能的にはスマートフォンで不足はない。

むしろいつでも撮れるカメラを持っているという効能は大きくてスマホを持つ前には撮れなかった、撮ろうと思わなかった一枚は数多い。

それでも、カメラを持ってみようかな?と思うほど
カメラ一つを首に下げて、その辺に出かけてみようかなと思うほど
写真の魅力に近づいた時間だった。

 

フジタと岡本太郎

この記事を書きながらふと、画家の岡本太郎(1911-1996)を連想した。
彼も「太郎の最高傑作は『岡本太郎という存在』」だと言っていたと聞く。

朝日新聞2022年7月21日付朝刊「岡本太郎ってどんな人?なぜいま注目?存在が『最高傑作』の理由で岡本太郎記念館の館長である平野暁臣氏が語っている。

太郎さん、どこからでも私の頭に浮かんでくる妖怪みたいな人だわ。