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落語の思い出

昨日の記事にいただいたコメントに出てきた、落語家の“4代目柳亭痴楽”というワードが呼び起こした落語の思い出です。
記憶がおぼつかないところもあるけれど忘れられない話。

 

落研に入部

古文の授業の終わり、当時高校二年生だった私と友達は
「ちょっと…」と先生に呼び出されれた。
「お前ら、落研に入れ」

落語ですか? なんで? どうして私たち?

その古文の先生は落語研究会の顧問で、当時その部には三年生しかいなかった。

「あの子たちが卒業して、落研がなくなったら可哀そうやろが」

校内のあちこちで卒業アルバムの撮影をしていた時期だった。卒業アルバムに三年生しか載っていないのは、引き継ぐ部員がいないということ。

それで、落研部員になった。

やったのは2つだけ。卒業生の隣で卒業アルバムに写ったことと、落語の本や漫画を読んだこと。本や漫画は古文の先生が貸してくれた。次々と読んだ。
読んだ端から返してしまって手元にはない。

落語の演目に関するものもあったし、個性的な落語家たちのエピソードを題材にしたものもあった。タイトルも著者名も覚えていない。
今思うとあれは、実在した落語家ではなく、架空の話だったのかもしれないけれど。

二人の師匠

思い出すのは、二人の名人のはなし。
一人は息子を厳しく育てた。息子は立派に育って周囲からの評判も高い。
「さすが名人の息子、この人がいれば落語界は安泰。師匠も安心して任せられますな」
と言われる優等生。

もう一人は息子を甘やかした。成人しても息子はわがままで甘ったれのまま。
父親の前では言えないけれど、陰では不平不満が渦を巻く。

そして二人の師匠が亡くなる。
一人は厳しい教えを守って、父親である師匠がいなくなった後も芸の道を邁進し、
もう一人は、ちやほやされずに腐ってくだを巻く。

そのうえ甘ったれなのでぼやきだす。
「くそっ師匠がもっとちゃんと育ててくれていたら…」
自分の未熟さを棚に上げて育て方が悪いと言い出す始末。

厳しすぎる試練

でも、この話“ここから“なのだ。
「あの子は苦労するだろう、親の威光に守られる時代は短い。わがままは通らなくなる、誰も相手にしなくなる。そこからが本当の修業です。私は息子に厳しすぎるのかもしれない」(多分そんな感じだったと思う。)

甘やかし続けて“親ばか、バカ親”とそしられたもう一人の師匠がそう言い残していたことがわかる。

そして、まともに修業をしてこなかったわがまま息子は、父親の予言どおり身を助ける芸を持たず、誰からも相手にされずに生きていく。
この辺あまり記憶が定かではないのだけれど、この父の言葉を息子は誰かから聞いたんだったかな?それともある日自分で気づいたのか。

なんにしろ彼は芸を磨き始める。日々精進を重ねる。
そして何十年もたったあと、また二人の名人が生まれる。そういう話。

落語の魅力

落語家って凄まじいと思った。
愚かな人の“噺”は愚かだったことのない人間には演じられないということなのか?
それとも、親がどれだけ厳しく躾けても、世間の目からは逃れられないからいっそ親ごと馬鹿にされる道を選んだのか。

私にはわからなかったけれど、
そうまでして極めたい落語は落語家にとって
とてつもなく魅力的で大事なものなんだろう。

そういう道に生きたことはないけれど、そういう道があると思うだけで胸がいっぱいになった。忘れられない落語のはなし。