
UnsplashのNick Fewingsが撮影した写真
先週、三カ月ぶりに会った人から
「りんさんが“嫌い”って言うのを初めて聞いた。前は何を考えているのかがわからなかったから嬉しい」と言われた。
心当たりはある。
なぜ聞くんだろう?
感情の起伏は顔にも言葉にも出さないことが多い。
ネガティブな感情は特に出し惜しんだし、ポジティブな感情は笑顔で済ませた。
どちらも適切な場面を外さないように心がけた。
高い壁をつくってそこから自分を出さずにいれば、物事は滞りなく過ぎていく。
沈黙はいつでも最善だった。
どうせわからない。
わかるはずがない。
だって私は自分の感情も思考も過去も表には出さないから。
隠していたいわけではなかった。
ただ、話しても喜ばれないのに聞かれたことに答えるのが億劫で
「なぜ聞くんだろう?」と思っていた。
興味がない
人は興味のあることにしか耳をかたむけない。
だから私が誰に何を語りかけようと、私にできることは殆どないというのが持論。
たまたま私の話す何かが相手の興味を引くときにだけ、その話は相手に届くし、相手にとって興味のないことは永遠に届かない。
それは相手が目の前に現れる前から決まっていて、私がどうこうできるものではない。
そして大概の場合、他人は私が本当に語りたい話には興味がない。
だからニーズが見えたときにだけ、私はその相手の役に立ちそうな、面白いと思いそうな話をすればいい。それで大抵うまくいく。
そんな風に生きてきた。
それがどう変わったのかはよくわからない。でも言われてみれば確かに
これまでの私ならわざわざ他人に自分の好き嫌いを伝えたりはしなかったと思う。
そんなニーズがあるとは思わない。
なんにしろ、他人から“変わった”ように見えるほど、私は変わったのだ。
このブログも始めたことだし。
人間が好き
変わった理由は最近、
人間に興味のある、人から話を聞くのが好きな人に出会ったからだと思う。
この人は話の内容が面白いかどうか、自分の役に立つかどうかで判断しない。
純粋に他人の話を聞くことに興味があるように見える。
色んな人がいることは知っていたつもりだけれど、
思いのほか近くにいる人のことも、私は知らないと気づいたから
“こういうものだ“と思うのはやめようと思った。
話すこと聞くこと
きっと、私は自分が話さないのと同様に他人の話も聞いてこなかった。
誰より私が、他人に興味がなかったのだと思う。
このままじゃ英会話を学んだところで、なんの役にも立たない。
ひとりひとりみんな違う。
興味のない人は興味のないままで。
誰一人聞いていなくても私は私の好きなことを話せばいい、そして話を聞こうと思う。