2025年7月のこと。
あまりのゴミ屋敷っぷりに思考停止した私、終わらない作業を続けていたら子どもに「いつまでいるの」と追い出された。
子どもがゴミ屋敷に住んでいた
誰にも打ち明けられないまま休職して二ヶ月。「実は…」と子どもが連絡してきた。
飛行機で東京へ。初めて見る子どもの家はゴミ屋敷だった。
どうしてこうなった? 気持ちが追い付かなかった。
なんだかんだと話をするうち
「お母さんが怖かったん?」と聞いたら、絞り出すように一言
「こわかった」と言う。
そのうえ「いつまでいるの?」と。
追い出されたと思った
深夜24時をまわる寸前、子どもの家を出て暗い夜道を歩きながら浮かんだのは数分前の子どもの姿。
「もう、電車ないんじゃない?」と言った私に「まだある」とスマホを取り出して言う。
君、そんなテキパキ行動できたん? という手際の良さで
「最終は24時25分だから余裕」だと続ける。
追い出されると思った。
「やってられん」
そうか私が怖いのか。
それを一日働いた私に言うのか。
疲労困憊の一日
移動に半日、子どもの家で半日。
「どうしても今日お願いしたいんです!」
とゴミ回収業者を拝み倒してなんとか50袋は回収してもらった。でも終わらない。
使えなくなった水回りを片付け、蛇口から水が出せるようにもした。
すぐに無くなるゴミ袋やらなんやらは、何度でも買いに走ったし、
業者に支払う現金を用意するため急いだコンビニまでの道がわからず迷子にもなった。
摂氏36度の熱気の中を行ったり来たり。
そんな一日の終わりに、そんなことを言われるのかと思うと力が抜けた。
本当はわかってた
本当は、ドアを開けたらすぐにわかった。
これは一日じゃ無理だと。
でも手を止められなかった。だからいつまでも続けていた。
考えられないから手を動かし続けるしかなかった。
離れないとわからない
部屋を出ると暗闇が心地よかった。
ホテルは隣駅で探した。夜通し作業するつもりでいたから。
こんな日こんな夜に、侘しい部屋になんか泊まれない。
広々とした清潔な部屋で、ピカピカの湯船に浸かって思った。
寝心地のいいベッドに寝転んで思った。
一人になれてよかった。
疲れがどっと出て、ホッとした。
見栄えのいい清潔な空間にいることが嬉しかった。
今私がここにいるのは、子どもが恐る恐る私を追い出したおかげだと素直に思えた。
離れないと見えないことがある。
自分がいかに疲れていたか。
もう休むべきだったことも。
できることをできるだけ
翌朝、広いベッドで目覚めて、美味しい朝食を食べたら元気になった。
それからもう一度子どもの部屋へ。
思ったとおり一回じゃ終わらなかったけれど、それでもその日の終わりには随分マシな部屋になったし、二週間後にもう一度作業に行くと快適な部屋になった。
二日目の私は片付け清掃業者に徹した。
“なぜ?”も“どうしよう?“も考えなかった。
不満も不安もとりあえず脇に置いた。
不満も不安もいつまでもなくならない。それは今も同じだし、きっとこれからも変わらない。
でも作業ならやれば終わる。
私は私にできることをして帰ってきた。
それでいいのだと思う。