当サイトはアフィリエイトプログラムを利用しています。

甘やかされたことのない人間は

昨日は子どもの家を片づけた話をした。
大人になった子どもの面倒を親がみるのは「甘やかしすぎ」だと言う人もいる。
私も、親だからって「子どもが一番、なにより大切」だとは思っていない。

 

でも思うんだよ。
大人だって間違うし途方に暮れる。
本当に追い込まれた日に
「いい大人が…」と見放されるのは味気ないじゃない。

自分の醜さ、愚かさを知って、非難されるのを覚悟で「助けて」って言えたなら、
その人は助からなきゃいけない。
助からなきゃ間違った甲斐がない。

 

逆境で人が成長できるのは、なんとかなった後のこと。
助かって初めて、脳は刻むと思う。
世界は自分を受け入れている、生きていても大丈夫って。
それは心から感謝できた後のはなし。

 

ごく幼い頃に十分に甘やかされた経験は、人を信じるモトになるらしい。
多分自分のことも。

盲導犬も子犬の頃には徹底的に甘やかされると聞く。
その間に“人間は良い存在だ”と学習した犬は、その後の厳しい訓練を経ても人間を信じる気持ちを失わないということなんだろう。

 

だから私は、葛藤しながらも「助けて」と言えたその一点で、
子ども自身が“なんとかなる“のを、全力で手伝いたいと思う。

自分の子どもだからってだけではない。
たった一度、本当に困ったときに救われたら、人生が変わることもあると信じているから。
だから乗り越えてほしいと思う。

 

でもそれは、子どものためとか貢献とか、そんな大層な話でもない。
もっとずっと切実なもの。

私は自分を助けたい。

 

脳は主語を区別しないから、他人を嘲ってはいけないのと同じ。
脳は主語を区別しないから、私は自分じゃ動けなくなった人を安全な場所まで運びたい。

そこで運ばれてるのは私だと思う。
「ほら、なんとかなったでしょう?」
「世界は思うほど悪くない」
そう思いたいんだと思う。

それが私の原動力。
そうやって私は、私を育て直している。