
UnsplashのBruna Araujoが撮影した写真
火曜日はサッカーの日本対ブラジル戦をテレビで見た。
「日本がブラジルに勝ちました!」という実況の声で画面が切り替わり、次に現れたのは報道番組のセットだった。
そのままニュースキャスターが
「いやあ、勝ちましたね…」と興奮気味に繰り返して、ニュース番組が始まる。
リモコンが見当たらなくて、ON/OFFはテレビ本体のボタンを押さなきゃいけなかった私は、そのままニュースに付き合った。
点けてからずっと、チャンネルはそのまま。
なぜか、チャンネルを変えようとかテレビを消そうとか、そういう気持ちにならなかった。
猫に呼ばれて、遊んで戻ってきたら、ニュースは終わっていて、今度は深夜バラエティ。
これ、いつ消すんだ?
そう思うくらい、テレビは自然に流れ続けていた。
画面の中の人たちは皆、視聴率のために懸命に仕事をしていて
私はと言えば、そういえば、昔もこんな風に、いつまでもテレビが点いてたことがあったなあ、とぼんやりと思っていた。
テレビを見るのが久しぶり過ぎて、ちょっと面白かった。
番組の内容は覚えてないんだけど。
久々に見た「テレビ」自体が新鮮だったんだと思う。
それから今日まで一週間、なんとなく毎日テレビを点けて番組を流してみたり。
なにがそんなに新鮮だったのか、と言われれると困るけど。
ただ何となく、今この時代に思う“テレビの良さや強み“は、懐かしさや不便さとともにあって、それは長いことかけて時間が積み上げた結果なんだろうなと思ったりした。
それがそのまま弱みと悪さの裏返しだとしても。
そもそも“古さ“って、そう簡単に得られるものじゃないのだし。
なんでもそうだと思うけど、
少し同じ状況が続くと、ずっと前からそれが、“当たり前だった“ように錯覚してしまう。でも「今」はその日たまたま選んだ、一つの状況でしかない。
「今」の可変性というか可能性、偶然性に気づくには、
時には意識して、いつもとは違う状況を選択することも必要なんだろうなと思う。その意識が薄れるから、「今」を絶対だと思ってしまうんだけど…
新しいことだけじゃない。
知っていると思って、気にも留めなくなったことでも、試してみると思わぬところにたどり着くことがあって、面白い。