
歩くのが好きになった私。
歩数・距離計測アプリによると、だいたい月に90㎞くらい歩いている。
一年で1,080km。
東京―大阪間を一往復。
それはすごいのか、長いのか?
遠くまで行けるってことなのか?
90とか1,000とか、その数字の響きに浮かれたその後で、
一年かけて移動する距離にしては、ちょっと微妙?
新幹線だと2時間半で着いてしまうのも、ちょっと複雑。
地球の裏側にだって安全・確実・簡単に行けてしまうこの時代、どこまでも繋がる交通網のせいで私の1,000kmが霞んでしまう。
人間が作った乗り物が革命的過ぎて、自分の歩みが取るに足らないものに思えてしまうなんて、我ながら難儀な生き物だなあと思う。
蟻なら、何を思うだろう?
公園の隅っこを、横断歩道の上を、錆びた外階段を進む蟻は、どこから来て、何のために、どこまで行くつもりなんだろう?
どれほどの距離を歩いて“そこ“に居るんだろう?
彼らはどこか遠くまで行きたくて歩いているのか、それとも巣から離れるつもりなどないのか。
GPSが記録する私の歩みは、家のまわりを行ったり来たり。
毎日毎日ぐるぐると。
時々は少し遠くまで行って、帰ってくる。
たまには、もう少し遠くまで行って、でも帰ってくる。
どれだけ遠くまで飛ばしても、戻って来る仕掛けが付いているみたいに。
それとも、
何年もかけて渡り泳いだ海の果てに、生まれた川に帰ってくる鮭みたいに?
歩いて行ける場所ならどこだって、絶対に帰ってこられる場所だったから
遠くまで歩けないのは、遠くまで行かないための一種の“装置“だったのかもしれない。全然、家なんて好きじゃないのに可笑しな話だけど。
でもいつの間にやらうっかり、遠くを“見て“しまった。
行けることに気づいてしまった。
宇宙から見た地球にも、飛行機の窓から見る街や川にも、電車の車窓を流れていく家の灯りにも、どうしたって見惚れてしまう。
刺激と距離とスピードの引力が強すぎて、戻れない場所に惹きつけられてしまう。
でもそれは歩く目的ではない。
距離じゃないんよな、歩くのは。
駅からの帰り道、ぼんやりと歩きながら、そんなことを思ったりした。
