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不出来な絵 |石垣りんの詩2

昨日の記事を見て思った。
これじゃ石垣りんさんが鬼婆みたい。

昨日の記事はこちらから
鬼の食事 |石垣りんの詩1 - たこイカそら豆ブログ

 

私が案じるまでもない。彼女のことは詩が語る。
それでもなんだか居心地が悪い。
石垣りんの詩は怖い」
そう言われがちな彼女だけどその心は冷たくもないし狭くもない(と思う)。

 

そして、勝手に彼女を語って、勝手に“そうじゃない“と挫ける自分に戸惑う。
彼女ならそれも「そういうものよ」と笑うのかもしれないけれど。

 

晩年に本人がインタビューに答えたとされる逸話がある。

彼女のもとには、作者を問わず数々の詩集が届いた。
届いた詩集は段ボールに詰められ、日を追うごとに彼女の家を埋め尽くす。

その数40箱はあったという。
夜になると彼女は、それらをベランダに並べて寝床を確保していたらしい。


誰の書いたどんな作品だろうと、とうてい彼女には処分できなかったから。
書く人も、書かれたものも、彼女には愛おしかったのだろう。

そんな彼女らしい詩がある。

 

『不出来な絵』  石垣りん

 

この絵を貴方にさしあげます

 

下手ですが
心をこめて描きました

 

向うに見える一本の道
あそこに
私の思いが通っております

その向こうに展けた空
うす紫とバラ色の
あれは私の見た空、美しい空

 

それらをささえる湖と
湖につき出た青い岬
すべて私が見、心に抱き
そして愛した風景

 

あまりに不出来なこの絵を
はずかしいと思えばとても上げられない
けれど貴方は欲しい、と言われる

 

下手だからいやですと
言い張ってみたものの
そんな依怙地さを通してきたのが
いま迄の私であったように
ふと、思われ
それでさしあげる気になりました

 

そうです
下手だからみっともないという
それは世間体
遠慮や見得のまじり合い
そのかげで
私はひそかに
でも愛している
自分が描いた
その対象になったものを
ことごとく愛している
と、きっぱり思っているのです

 

これもどうやら
私の過去を思わせる
この絵の風景に日暮れがやってきても
この絵の風景に冬がきて
木々が裸になったとしても
ああ、愛している
まだ愛している
と、思うのです
それだけ、それっきり

 

不出来な私の過去のように
下手ですが精一ぱい
心をこめて描きました。

 

句点は一つしかない。
一続きの言葉が伝えるのは彼女が世界を“愛している”という一事。
そして描かずにはいられない人への愛だと思う。

 

 

石垣りん(1920-2004)

詩人。
家族を支えるため十四歳で銀行に就職。定年を迎えるまで働きながら詩を発表し続けた。初詩集は三十九歳『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年刊)